よもやまな毎日の、よもやま日記

日々の雑談を書いていきます。

節約は、力なり。

人は三千円の使い方で人生が決まるよ、と祖母は言った。

原田ひ香『三千円の使いかた』の冒頭のこの一行を読んだとき、私はカウンターパンチをくらった。

「人生が決まるってどういう意味?」

「言葉どおりの意味だよ。三千円くらいの少額のお金で買うもの、選ぶもの、三千円ですることが結局、人生を形作っていく、ということ」

孫の御厨(みくりや)美帆と、祖母のやりとりは続く。

もう、同意!御意!!と、ぐいっと本の中に引き込まれた。

この『三千円の使いかた』というタイトルは、その意味は、こういうことだったのか〜と目からウロコ。

いろんな御厨家のショートストーリーが連なる本著は、また最後にぐるっと一周して、見事に完結する。

御厨家を通して、いろんな人のちょっとした幸せを描き、最後には大きな幸せ、人生観につながる。

その幸せのエッセンスに、家計のやりくりがしっかり存在するのだ。

そう。使うも自由。使わざるも自由。

私たちは自由を任されていて、人生を任されている。

でも三千円というディティールの積み重ねの先に、人生があるとしたら、いがいと身近で、楽しい。

一冊を読み終え、仲の良い友達と語り合った後のような感動を覚える。

さて、私の三千円は、どのように使おうか。

さよなら冒険旅行。

感動した東京オリンピックも終わった翌日に、子どものDVDを観た。
高校最後の、定期演奏会のDVDだ。

定期演奏会を終えて早や4か月たったので、待ちに待ったDVD。
演奏を見て、わくわくする。

なのに。

見終わった後、なんとも寂しい気持ちになった。

ああ、終わったんだなぁ。

部活を何にするか聞いたとき、吹奏楽部に入ったという報告。
ここから、子どもの高校生活での冒険旅行が始まる。

初めてソロ演奏を披露した見学会。
週一であった演奏会。
自転車事故に遭い心配したマーチング大会。
先輩お母様方に引っ張っていただいた自主練習
大舞台にひたすら驚くアンサンブルコンテスト。
興奮した県大会。
自分の手術と重なった定期演奏会
そして、コンクール!

実にさまざまな、きらきらとした思い出ばかりである。

それからは、コロナ禍になり、あまり演奏を聴く機会は減ってしまったが、充分すぎる程の凄い経験。

最後の定期演奏会をもって、その思い出は終結する。

寂しい。

でも、ありがとう。
子どもを始め、すべての関わってくれた人たちに、ありがとう。

定期演奏会のDVDのラストソングは、SEKAI NO OWARIのRPG。
楽しかった冒険旅行の終わりを告げ、そしてまた新たな冒険旅行が始まるのだ。

お茶を愛でる。

コロナ禍で、ぜんぜん外出ができない。

平凡な日々に、身を委ねるしかない。

そんななかにも、人は喜びを見出す生き物で、様々な楽しいこと、楽しい発見もある。

すべての、このような環境下でも楽しさをくれた友人たちに感謝している。

この、日々を淡々と、変わりなく過ごすのはお茶に似ている。

一つひとつ、こなしていく様が、所作にも通じて。

そのなかでも季節はめぐる。

小さな日々の変化を、つかまえる茶道に、学ぶことは多いだろう。

茶道のたしなみはない私であるが、今日はご友人のおかげで、お茶を楽しめる。

すると、茶道をたしなんだ人の本を読みたくなり、読むと、いろいろな叡智をいただく。

今日は朝冷えて、肌寒い。

何を着ていこうか。何を手土産にお持ちしようか。わくわくしている。

お茶は心、と、そのご友人はお話ししてくださった。その言葉の大きな包容力に包まれて、日々を大切に過ごそうと思う。

金魚キンギョKINGYO

吉岡里帆のラジオを聴いていたら、ゲストが作家さんだった。

深堀隆介さんという。

「この金魚の人って、たしか愛知なんだよね」と家族が言った。

金魚の人、愛知、ということに俄然興味を引く。

深堀さんのウェブサイトを開く。

愛知弥富市の人で愛知県芸大出身の金魚作家さんなんだ、親しみが湧くなぁ。

REFLECTIONSという言葉を見つける。

反射、反映。きらきらしてる言葉。

クリックして、開く。

ああ、美術なんてやめてしまおうと思った。

冒頭の言葉に、グッと引き寄せられる。

そして自室の金魚に美を見つけた深堀さんは、こう綴る。

僕の探していた答えが、ヨーロッパでもアメリカでもない、まさにこの部屋にあった。

ああ、いいなぁ。

すごく、わかる気がする。

金魚の作品たちも、とても素敵。

夏を探しに、深堀さんの金魚に会いに行こうか。

隈研吾の道。

建築家が好きだ。

建築の道に、行きたかった。

コンペにも応募したことがある。

でも圧倒的に、思想と思考が足りない。

地球一周しても足りないくらい。

建築家とは、そんな奥の深いものであった。

 

建築を学んでいた時代、建築家の建造物を見て、楽しんでいた時期がある。

安藤忠雄や、磯崎新

そんなに多くは見られなかったが、まるで都市の宝探しをするかのように、出会ったときは嬉しかった。

 

その頃から注目していた建築家、隈研吾

和が息づく建造物は、写真で見ても、何か目立っていた。

 

今や新国立競技場を設計した建築家である隈研吾、ここ名古屋でも、伏見の御園座や、隣の信金と、身近に見られるのが嬉しい。

 

「負ける建築」を提唱する建築家。

伝統文化を大切にし、自然に溶け込む、または自然をそこに存在させる。

なのに目立っている。確かな存在感がある建築。

 

どういうことなんだろう。

負ける建築なのに、全然負けてない。

輝いている。そして心地いい。安心させる。

それは人の生き方にも似て、何かその道を追いたくなる。

 

建築家の作品は、街の宝探し、日本の宝探しだ。そして、その宝と一緒に存在できる幸せを、噛みしめる。

京都に行ってきた。

紅葉の始まる一歩手前、京都へ行ってきた。

今回は同行する友人のリクエストで、南禅寺へ。

そして美術館も加えたかったので、歩いて行ける細見美術館へ、行く。

南禅寺は、その名の通り、禅宗のお寺。

禅宗だからか、湯豆腐が有名。

山を背景にした造りは、日光東照宮を思い出させる。

三門を昇り、方丈庭園へ。

茶人としても名高い小堀遠州の、虎の子渡しの庭園を見て、小堀遠州の作庭かぁ、と感激する。

東福寺の方丈庭園と比べると、少し小ぶりな印象か。

国宝の方丈は、狩野元信、永徳の襖絵は復元だが、狩野探幽の襖絵は、もしかして本物?まさか違う?いずれにしろ、探幽の襖絵、水呑の虎、は幽玄で奥行き深く見事であった。

南禅寺で湯豆腐を堪能した後、細見美術館の、中村芳中(なかむらほうちゅう)展へ行く。

可愛い琳派で知られる芳中だが、ほんとに、ふくふくして可愛いタッチ。

好き。

たらし込みという絵画画法のようだが、にじみが可愛い。植物も、動物も、亀も、鳥も、すべてが可愛い。

目が可愛い。

こんな可愛さに徹底した、画家っていいな。

絵画を堪能した後、パンカフェで、パンとコーヒーに舌鼓。

そんな京都、日帰り旅行でした。

親子げんか。

参議院議員選挙を迎え、まちが選挙で華やかに盛り上がっている。

昨日も大相撲の帰りに、候補者を見かけた。

その候補者が今日の政見放送で映し出され、おお、と思う。

大相撲では力士たちが華やかに、ダイナミックに土俵の上で闘う。

そんな素晴らしい体験をした夜に、してしまった親子げんか。

最近は、我が子は、痛いところを突いてくるようになった。

君に私の何がわかっているの、と思うところもあるが、よく見ているな、と心当たりも多々。

真髄を、突いてくる。

つらい。

子育てをして、痛いところを突かれた。

ただ、自分も同じ頃そういうことを言っていたので、自分にブーメランとなって返ってきているような気がする。

真髄を、突いてきたのだ。

それが、どんなに思いやりがなかったのかを、反省しつつ。

憂さ晴らしに、デザインのボランティアを探す。

まだまだ、これからだ!