半分、青い。を振り返る。
あんなに夢中になった朝ドラは、あっただろうか、いやない。というくらいに夢中になった朝ドラ「半分、青い。」。
今は新しい朝ドラ「まんぷく」を楽しんでいるが、一時期はロスを心配していたほど、生活が、半分、青くなったのである。ふぎょぎょ。
朝ドラを見る習慣がなかったので、最初は飛ばし飛ばしだった。
そうか赤ちゃんの頃からのストーリーなんだなとか、鈴愛ちゃんの子ども時代が可愛いとか、岐阜の風景が自分の幼少期と重なるなとか、かいつまんで楽しんでいた。
まさかあんな波乱が待っていたなんて。
思わず気がつけば、毎一分一分を見逃せないほどに夢中になっていた…というか、振り回されていた。
運命に、そして、鈴愛ちゃんに。
鈴愛ちゃんの運命は乱暴だ。
天職を見つけたかと思えば挫折し、運命の人が傍にいるのに結ばれない。
でも見ているうちは、わかる、わかる、という思いもある。人生、そんなに上手くいかない時もある。
みっともないことだってあるし、する。
そのうち、失意に沈んだ鈴愛ちゃんは、映画みたいな恋に落ちる。そして映画にもないほどのひどい別れ方をする。前代未聞だ。
ここへきて、わかる、わかる、から、どうなるんだろう、みえない、というハラハラに変わる。
結局、故郷でリスタートし、落ち着いて、東京でやり直す活力も得て、運命の人とも結ばれて…と、ようやく幸せの兆しがみえるのだが、ここまで運命に翻弄された普通のドラマがあっただろうか。
いや、ドラマはあるかもしれないのだが、鈴愛ちゃんの直面した運命は、実に痛い。
登場人物がいつもユーモアある会話をしているだけに、その痛さが際立つのだ。
最終的にはハッピーエンドになったけど、等身大の飾らない口調と、直面する運命の乱暴さは、まさしく、すぐ隣のドラマだ。
私たちも、日常はささやかなユーモアを楽しむし、運命は、半分、青い。ほどではないにせよ、時に乱暴だ。
隣の芝生は青いというが、青くあってほしいというのも、きっと潜在意識のなかにあると思う。
このネット上で賛否両論あったというドラマ、隣の芝生の青くなさに参った人もいるし、それに共感を覚えた人もいるのだろう。
「どっち?どっちどっち?」
いやはや、鈴愛ちゃんは、やっぱりどっちでもイキイキしているのだ。